何百台ものチューバを同時に鳴らしたような重厚なバスボイスの持ち主は、口にひげを蓄えたクジラだった。海野は安心した。なぜなら、口にひげのあるクジラは自分を飲み込むことができないからだった。
「安心せい、だれもお前など食おうとはせんよ」ヒゲクジラは言った。
(だから安心してるって)海野はこっそり突っ込んだ。とにかく、シャチはこれで逃げただろう。だってこのクジラやたら図体でかくて怖いし。
が、シャチは動いていなかった。おとなしくはしていたが。
海野はただぼやっとヒゲクジラの体を見ていた。とりあえず、自分が見ている側だけで17個の傷がある。なんでまた、穏やかなヒゲクジラが傷など負っているのだろう。
「こらそこ!返事をしないか!それが里山王国海軍東部隊隊長に対する態度か!」さっきまでおとなしかったシャチが急に横槍を入れた。
なるほど、じゃあこの傷は今まで大陸からの不審魚や海の環境を省みない例の陸の動物(こいつも不気味な灰色の巨大魚を飼いならしている。まったく、協力する魚も魚だ)との戦いでできたのか。かっこいいな。
とすると、さっきからなにやらわめいているこのシャチは副隊長、と言ったところか。傷の数が2桁に満たないところから、まだ就任したてらしい。
というかうるさい。
「まあまあ、そうカッカしなさんな・・・海野、月くんだね?」「は、はい」びっくりした。なんで僕の名前を知ってるの。僕ってもしかして、脊椎動物からしたら物凄い犯罪者なのかな?
「君、クラゲにしては大きいね」「あ、よく言われます」クラゲに。
「泳ぎも速いし」「ありがとうございます」「君がこれからのクラゲの統率者になるかもしれないね」 そのあと書類にサインさせられ、(さすが海軍の隊長にもなるとその紙も上等なもので、北部の海藻を編んで作られたものだった)あれよあれよというまに僕は海軍に入隊させられていた。これが3年前の話。 「隊長、昆布茶お入れしました」「ありがとう。剣先くん。」今、
僕は南部部隊の隊長になっている。海軍卿の深田仁和(ふかだにわ)の求めに応じて主に大陸近くで大量発生している。副隊長の剣先くんとも仲良くやっているよ。